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FOREVER PRINCE

FOREVER PRINCE

<番外編>私が韓国にはまったきっかけ。

<Q&Aコーナー番外編:私が韓国にはまったきっかけをご紹介します>

私が韓国芸能人にはまったきっかけは、シン・スンフンという歌手との出会いでした。何故彼のことを知ったのかを説明する前に、まず何故私が韓国に興味を持ったのかについて説明したいと思います。

私が公立中学の1年生の頃、同じクラスに本名を名乗っている在日韓国人がいました。彼女は日本で生まれ育ったのに、国籍も名前も韓国人、でも言葉は日本語しか出来ないと言っていました。”この人は外国人なのに、何故日本で生まれ育った上に日本語しか出来ないのだろう?”ということが私にとってはとても不思議なことでした。

そういう疑問を持ったことをきっかけに、私は自分なりに日本と韓国のことを本・新聞・TVなどで調べた結果、どうも両国間には悲しい過去があり、お互いを嫌っているようだということが判りました。そして、どんな国なのかも判らないのに、韓国を嫌うような日本の雰囲気に納得出来ないものを感じ、”いつか韓国に行ってどんな国なのか自分の目で確かめたい”という気持になりました。

その後社会人になるまで韓国に行く機会はなかったのですが、ある時家族旅行で韓国に行く機会が出来行ってみたところ、なんとも言えない懐かしさを感じたのです。そして、食べものも美味しかったし、ほんの数日の滞在だったのにも関わらず、韓国人の心の広さや暖かさを感じることが出来、またこの国に来たいと思うようになりました。そして何度か訪れるうちに、”この国の人とこの国の言葉で話してみたい”と思うようになったのです。

その後私はNHKの講座などでハングル文字を覚え、カルチャーセンターのようなところにある、韓国語講座に通い始めました。多分通い始めたのは1990年代の始めごろだったように思います。当時の日本で韓国に興味を持っている人は、今に比べたらとても少なかったのですが、その学校には韓国が大好きな人がたくさんいたので、仲間が出来たことがとても嬉しかったのを良く覚えています。ただ一部韓国に全く興味もないのに通っている方もいたのですが、その方は”恋人が韓国人だったから、韓国の言葉を覚えに来た”と言っていました。そういう人達からみれば在日でもない上、恋人が韓国人でもないのに、韓国語を勉強している日本人の私達が、とても異様に思えたようです。その頃は”韓国語を勉強しています”と言うと、周囲の人から変な目で見られたことを良く覚えています。

その学校に何年か通う内に、仲間同士で情報交換も行うようになり、私のK-POPや芸能関係の知識はかなり多くなりました。そして、知り合った仲間の1人に勧められて聞いたのが”韓国の国民歌手シン・スンフンの歌”だったのです。

その人は”このテープ聞いてみて。韓国のバラード歌手で、歌が上手いし韓国でも人気があるみたいよ”と言いました。私は”うん、わかった”と軽い気持でテープを受けとって聞いてみたところ、最初は単なる歌の上手い歌手としか思えなかったのですが、聞いているうちにどうしようもなく好きになってしまい、”この人の歌の意味を知りたい”と思うようになりました。そして韓国語を懸命に勉強しながら、何度も韓国に旅行に行くうちに、日本で勉強するだけでは物足りなくなってしまい、とうとう韓国に語学留学することを決意したのです。

留学期間は1995年1月~1996年3月まで。私は、韓国ソウルにある某大学付属の語学学校(語学堂)を皆勤賞で卒業しました。それも成績票にはAとA+以外はなく、途中の学期には学校からの奨学金を頂くという大変名誉なことも経験しました。ちなみにその学校で初の奨学金受賞者だったとのことです。多分公共団体などからの奨学金受給者が、お金をもらって勉強しにきているはずなのに、あまりにも不真面目なので、”まじめに勉強しているのに、何の援助も受けられない私費留学の人にも何か良い制度を”と考え、作ってくれた奨学金制度だったのだと思います。ただ奨学金とはいえ、単なる授業料の割引、それも1学期のみ適用、そして1度受給したら終りというものでしかありませんでしたが、本当に嬉しかったです。また、私の母校では、皆勤賞で卒業する人がほとんどいなかったそうで、学校の先生に”1年以上無遅刻無欠席だなんて、気持わるーい”と言われていたそうです。他の学校には皆勤賞の人も結構いるらしいと聞いていたので、私の学校が特別だったのかも知れません(笑)。

そして日本に帰国。韓国に留学していたとは言え実力はたいしたものではありません。もちろん日本にいるときよりは格段の進歩をしていましたが、韓国語を使ってお仕事をしている人から見れば”日本で言えば日本語学校を卒業した外国人と同じようなたいしたことのない語学力だ”と言われました。確かにその通りです。でも、現地で生活したことにより、日本にいたら覚えられなかった現地の習慣などを知ることが出来たのも事実です。ただその時の語学力は、今と比べると、とても使い物にはならないような、実力不足の状態でした。そんな中途半端な語学力の私は、特に韓国語を使うこともなく日常生活を送っていました。

特に97年~99年までは家庭の事情などで語学学習をする余裕がなく、もしかしたらこのまま韓国との縁が切れるのかなと思うほどでした。でも、何故かそういう時に限って韓国に住む韓国語しか通じない留学時代の友人から電話がかかってきたり、駅前で署名運動をする朝鮮学校の関係者と知り合ったりと、朝鮮半島との縁を感じるような出来事が起き続けました。

そして、2002年にワールドカップ日韓共催になることもあり、そろそろ韓国語を勉強してみるのも良いのかなと思い、2000年に某TV局が経営しているカルチャーセンターの上級クラスに通いはじめたのです。そこで知り合った方々は日本で10年以上韓国語を勉強されている方ばかりで、韓国に住んでいた訳ではないのにとても韓国に詳しい方ばかりでした。良い仲間に出会えてとても嬉しかったです。

その後その学校で知り合った人の勧めで、2001年から韓国語の通訳学校に通いはじめ、その学校でも良い仲間に巡り逢うことが出来、本当に良かったと思っています。

昨今の韓国ブームで韓国に興味を持った方々と話していると、やはり韓国や朝鮮半島に対する知識の浅さを実感します。韓国の芸能人を好きになったのなら、ついでに言葉・歴史・文化なども勉強して欲しいなと思います。もちろん私も勉強中なので、あまり偉そうなことは言えません(苦笑)。でも、初心者の方に比べたら知識は豊富だと思います。

特に、在日の問題について無関心な方が多いと思うのです。朝鮮籍の在日が所属する組織”総連(在日本朝鮮人総連合会)”と韓国籍の在日が所属する”民団(在日本大韓民国民団)”という組織があることを知らない方も多いと思います。そのことにも少しは目を向けてみて欲しいのです。

ここ数年私は朝鮮籍の在日3世のボクシングの世界チャンピオンを応援している関係上、朝鮮学校の関係者と知り合う機会が急激に増えました。その人達から聞く話は、とても貴重なものばかりです。例えば、北朝鮮はアメリカからテロ支援国家とみなされ”悪の枢軸”と呼ばれているため、朝鮮籍の方は現在アメリカに入国できないという話皆さんご存知でしたか?日本で同じように暮らしているとばかり思っていた在日の知人から、このような話を聞く度に”やはり日本で生まれ育った日本人の私とは違うのだな”と思います。

なんだか堅苦しい話になってしまいすみません。韓国に興味を持った方、是非こういう問題にも目を向けて欲しいと思います。ご参考までに、在日の問題を簡単に説明している作品をいくつかご紹介しておきます。

まずは、直木賞受賞者でもある作家の金城さんが書いた「GO」です。この作品は窪塚洋介さんの主演で映画化もされましたので、ご存知の方も多いかと思います。ただこの作品、かなり大げさに書かれている部分もあるので、朝鮮学校の卒業生からはとても評判の悪い作品のようです。でも在日のことを知らない方には歴史的な問題なども簡単に説明してくれているので、かなりお勧めの作品です。

それと、鷺沢さんの「君はこの国が好きか」「ケナリも花、サクラも花」もかなりお勧めです。

あとは、韓国の入門書といえばちょっと古いのですが関川夏央さんの「ソウルの練習問題」や、韓国通で有名な黒田福美さんが何故韓国にはまったのかがよく判る「ソウルマイハート」なんていう作品もあります。興味のある方は是非!

なんだかだらだらと書いてしまいましたね。以上が、私が韓国に興味を持った理由です。

日本と韓国両方の国で生活したことのある私は、今後この経験を活かして、韓国には日本の良さを、日本には韓国の良さを伝えるような役割が出来たら良いなと思っています。私に何が出来るのか良く判りませんが、出来ることから始めてみたいと思います。


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